i-mode Essay aug 2

 それでも、雨の日は戸外という訳にはいきませんし、夕立もあります。そんなときの僕の楽しみは何といっても「図鑑」でした。本棚から何冊かを抱えて来て、畳の部屋に寝そべり外の雨音を聞きながら読み耽ります。何かを調べようという読み方ではありません。五十音順の百科事典と違い、図鑑は分野別ですから、「天体」とか「昆虫」とかを次々と読み進むうちに、DVDのマルチストーリー顔負けの物語りが次々と浮かんでくるのです。何だかRPGのようだなぁ…と感じた方もいらっしゃると思うのですが、まさにゲームソフトがトレースしたがっている世界がそこには在ったと思います。無目的に何かをすることこそ「遊び」なのだと私は考えるのですが、最近では遊び自体が管理されて、予め何がしかの達成感を得られるものに仕上げられているのが現状でしょう。残念でなりません。

 ツクツクボーシの声が再び大きくなって雨が上がったことに気付けば、物語の世界は終わりです。下駄をつっかけて濡れたユリの庭に走り出るのは、虹を探すためです。まあ、見つからないことの方が多いですが…、しかし、夏空にはとびっきり大きな入道雲が鎮座していました。縁側に腰掛け井戸で冷やしてもらった西瓜を食べて、思いっきり種を遠くに飛ばします。60〜70年代には、そこここで普通に見かけられたこんな光景がテレビのCFでしか見れなくなってしまったのはいつからだったのでしょうか。西瓜も今時のものに比べれば、決して甘くはなかったのですが、塩を振ったりして食べていました。甘くするために、辛いものを合わせるというのは、なかなか示唆に富んでいたんだなぁと、30光年の彼方にいる僕は今、感じています。



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© 2002ynishioka