今はもうなくなってしまったのだが、家の入り口には枝振りのよい梅の木があった。白加賀という中梅を代表する品種で、祖母は自家製の梅干をこの実を利用して作っていた。
青々と葉を茂らせたその木の下に、船から再び変身した車を止める。実もたわわに成っていて、ときどきドンという音をさせながら、車の屋根に落ちてくる。凹みはしないのだが、低音ながらよく響く。こんなものも五月の音などといったら笑われるだろうか。
畑と呼ぶにはもちろん狭いのだが、庭には様々な野菜が育てられていた。この季節にはなんとアスパラガスまであって、味噌汁の具になったりした。しかし、何と言ってもこの季節は韮がおいしかった。細い韮なのだが、堆肥がよいのか柔らかくエグみがない。祖母の手造り味噌ととてもよく合った。着いた翌日、これを啜りつつ朝食をとった。
五月晴れの空の下、気持ちのよい微風が吹いていた。白髪を束ね祖母はいつも通り庭の手入れを始めた。花々を愛でる視線の優しさに気づき、僕は思わずシャッターを押していた。
誰の人生も平坦なものではないだろう。そして彼女のものもまたそうであった。厳しさの中にあってなお平静さを失わなかった祖母の境地に、まだまだ辿り着けぬ自分を感じている。
主なき庭にツツジは今年も咲いていることだろう。