ところで、小京都と称される町の多くは「もののふ(武士)」の町です。ですから、武家屋敷なるものが観光のメインになっているのも必定です。本家京都の成り立ちから考えれば、出自の全く違うものと言えます。となれば、佐原や川越のように小江戸とでも呼んでいただいた方が筋ではないかなどと一時は思ったりもしていました。まぁ要は、何処に憧憬をもってその町を眺めるかという一点に帰着するのでしょう。
 この国における主要都市が、小東京と化そうとしている現状を見るにつけ、均質化の功罪を考えざるを得ません。未来に対する首都の責任は重いといえます。

 もちろん、フランスの魂はパリにではなくその広大な田舎にあるように、この国も東京と小東京が覆う面積はわずかなものです。蔵王や日光の紅葉は、街で行われる営みとは異なる時間を刻んでゆきます。意外かもしれませんが、里山の風景もまた人の手により作られたものなのです。黄金色に染まる実りの稲田と同じく、錦織りなす山々もけっして自然美などではないのです。
 山野をキャンバスに植林し、田畑を耕し、橋を架け、護岸をして感動を共有できる絵に仕上げてきた先人たちの歴史に想いを馳せるのは、後生たる我々が次に何を残せるかを考える契機となるでしょう。



[0] top
[1] essay top
© 2002ynishioka